| このページは チクショウとはに関してが 2008年 04月 12日 17時18分47秒 にクロールしたキャッシュ情報です。 |
検索キーワード= 盗撮
優先キーワード= 盗撮
チクショウとは?
[ 18] からいぜチクショウ!カライのきらい!!
[引用サイト] http://koi2.chu.jp/ch/karasi.html
|
私はカライ物は嫌いである。だからカラシ湯で歯を磨く事は勘弁してもらいたい。からしは分量がわからないのでとりあえず1キロ買ってきた。中華街で安売りをしていた物を1キロ1200円でゲット。安いか高いかわからないがカバンに入れて会社に行く。トウカラシをカバンに入れて会社に行くのは私とクッキングパパぐらいであろうと思う。異様な光景だがまあグッドでしょう。 で、入る前にしたごしらえ。カラシエキスを十分に出すために包丁で細かく砕く。分量がわからないのでとりあえず500グラムくらい使用。結果、思った以上の量になった。 風呂にカラシタオルをほっぽり込む。エキスを出すために湯船の中でもむ。1分ぐらいもんでいた時の事である。手が熱くなってきた。今回は実験の為に湯の温度を38度にしたのだが手が熱い。これがカラシパワーか?早速入る。うーん、ぬるい。こりゃ楽しみだ。カラシタオルをもみながら鼻歌を歌う。 浮かれていると汗が出てきた。まあ風呂だし、いくらぬるくても汗は出るはな。が、これからしばらくしてのことである。 気持ちいいです。こんだけ汗出ると。ついでに風呂の匂いが変わって来た。カラシって匂いあったっけ?色も少し赤いような気がする。500グラムが効いてきた様だ。 さて頭を洗おう。シャンプーの後湯船の湯をかぶる。当たり前だがあまり変化はない。つまらんから顔を洗う。パニック発生。目に少しカラシ湯が入った。痛ぇぇぇぇぇぇぇぇ。たまらん、風呂場でうずくまる男がそこにはいた。「目・目・めーー」という叫びが親に聞こえたらしく後で不思議そうな顔をされた。 じわじわくる辛さじゃない。速効性の辛さであった。耳の奥が痛い。水道の蛇口にクチを付けて水を飲む。このカラサは人が殺せる。マジで。 風呂をでる。体をふいている時にめまいがして座り込む。のぼせた。世界がグルグル回っている。まるで魔法陣のようである。3分ぐらいすわりこんでやっと回復。服を着て冷たい水を飲む。うまい。最高だよ水。ほれた結婚しよう。などどナイスな事を考えてコレ書いてます。まだ体が熱い。 いやー。ファイルの整理をしてますがまだ体があったかい。スゴイ保温だ。こりゃあ真冬にやったらいいぞ。うん。でも500グラムは多すぎたか。 すごくよく寝れた。どうやら体の疲れがカラシ風呂のおかげでリフレッシュ出来たようだ。その証拠に布団に入った瞬間に寝たみたいで、布団に入ったって記憶すらない。 その後、掲示板に「きら すみあき」さんが掲示板で適量を教えてくれました。10個でいいそうですので、みなさんもやってみましょう。 |
[ 19] 空想科学研究・肩書きチクショウ
[引用サイト] http://www.lopyu.com/cafe/labo/pataphysicien/index.htm
|
肩書きなんて・・・そういっていぶかしげな目線をおくるあなた。それにはエイドリアン先生もちょっとマッテクダサイ、とギターをならしたかどうかはともかく、ここじゃ肩書きなど、およそなんの役にも立ちはしないのさ。 空想科学なんてぇのはね、普通じゃ面白くないんだよ……かのスズキな清順翁のように、まあそんな感じで実にアバウト、イイ加減でよろしいのだ。(懐が不快、いや深いともいう) 横文字、たて文字、漢字にロオマジ、まじになんだってOKよ。 だからこそ、あえて名乗りたい肩書きがあればどうぞお好きに、ということになる。そう、ちょうど夢の中、眠りの中の絶対的な領域に踏み込んだがごとくあなたは、実はコントロールできない自由さのなかで、様々な自分に出会っているはずだ。それをひとつひとつ処理していると……つまりは自分が複数化する、のである。 ほんじゃあ、多重人格ってこと? といって片付けられちゃもともこもない。これは純然たるたるメタ・クリエイティブな科学ですよ、はいメチャクリエイティブだす。糞科学なんて言っちゃあダメダメ……本研究員が関わる研究は、それゆえ空想科学研究という分野において、とどまることを知らない。粋のながぁい、つまりこそこそなしのそこなしなわけである。 かような空想科学研究、ひいてはロピュール研究が近未来において、何らかの形で評価されようとされまいと、そんなことはどうでもよろしい。なぜって、あんなにどうかしていた(異化シテタ)はずの彼を、今度は世界が同化(生か)してしまうだけなのだから。 そう、それは世界でたったひとつ、そこでしか起こっていない出来事だけれども、同時にそこで起こったことは、いつなんどきにでもそこかしこで起こりえることでもある。それに気づかないのは返す返すも残念ではある。それが自然に認識されるときこそ、この研究が真の意味を持ち始めることだろう。ただそにあることを知るだけである。 来るべきその時代、個々だれもが個々の価値観によって成立し、それによって個々は時空を超え、意味を超え、あらゆる束縛を超え、自在なままに自己と他者とを交感いたすであろう。あたかも、植物たちがわれわれの知らない世界でコミュニケートしているようにネ。 こうして繰り返される日夜のワークは、直感とアクションと夢想のサイクルによって作品の具現化を謀らずも図ってしまうのだ。 というお方がいらっしゃいましたら当研究所、肩書き募集係まで御一報をください。素敵な肩書きをお持ちのかたで、希望があれば空想科学研究員名簿に記載いたしたいと思います。もれなく LOPYU66デザインによるカタガキチクショウカードを発行プレゼント。ふるって参加してちょお〜だい。 「いき」と「こいき」は近しいようでいても、似ても似つかぬもののようにさえ思える。 一見異質のAとBを前にするとき、ひとはそれをなんとか結びつけようとなどとは普通はしないものらしい。邪道なのである。やっかいはちょっかいなのである。枠からはみだしたものは粋ではないのである。 「こいき」とは、「いき」の領域をふまえながらも、あらたにおのおの独自にいきいきした状態をのうのうとつくりだすことがキーである。こいき、すなわち広域であるがゆえに、むろん決まりなどないのである。よって奇異に思われることが多いのである。 が、自分はこいきだぞ、といくらのたまったとしても、いきから見ると実にばかげていたり、子どもじみ(子供でかつ地味であるという意)ていたり、なにをかいわんや、てんやわんや(てんやもんいやや)なのである。 とはいうものの、こいきは「個」の域からしか生まれ得ないのであるからして、「いき」と「こいき」の行き違い、それはおおむね「個」の問題でしかないと考える。個から個へとうけつがれるのである。おや?から個へ、個からおや?へといきつくのである。懐疑は踊るのである。 さすれば「個」とはなんぞや? ということになる。それは孤なる戦い、それはけっしてこなれえない闘争である。ここは果てしがなく、しがないのである。よって詩が師となって志を獅子奮迅たらんと始終ささえるわけである。 ロピュールはこうした流れにおいてのこいき道なるものを、いきどおらずも、日々追求しているのである。 |
